2011年2月9日水曜日

朝練 トレーニング考

5時起床。


60sec ONOFF*10
起きてしまったので、フラフラしながらもバイクに跨る。
酒とラーメンのダメージが色濃く残るが、酒を抜く為にもダラダラとでも乗るか、と大量に水を飲みツールを観ながらスタート。
30分ほど回したところで、なぜかメニューを始めてしまい、かなり気持ち悪くなって最後の2セットは出力も全く上がらずこなしただけになってしまった…
もったいないことをした。

練習にもいろいろあるけれど、本当に強くなるための練習は最後の瞬間にようやく訪れる場合が多い。
それまでは練習のための準備であって、そこで終わっていては練習のための練習にしかならない。
皆で走っているとそれがわかっている人、本人に自覚がなくても感覚的に身についている人(所謂センスのいい人)、何度言ってもわかってくれない人、いろいろいる。
自分にはセンスが無く、その辺は経験して始めて身についた、と思っている。(身についてないよ、というツッコミは無しね)
歩みも遅く時々自己嫌悪に陥るが流石にこの年なので割り切って自分と付き合っている。
なので自分と同じようなタイプをみるとつい余計な一言を言いたくなる。
言っても無駄なのもわかっているのに我ながら頭が悪い…
面白いのはセンスが良い人はその辺も自覚がなくてもきちんと押さえてくるんだよなあ。
本人は「いやあ、適当だよ」とかいう人に限って実はやることやってたり、逆に頑張ってるんですがどうして強くならないんでしょう、という人に限って実際にはやることやってないケースが多い。
要は頑張っていないのだが、この「頑張る」という単語の意味も説明するのが難しいものだ。

ボートの練習は一番キツイ時にどれだけ正確にオールに力を伝えるかで、艇速の維持、伸びが決まる。
つまり勝負が決まるので、練習はそういう類のメニューが多い。
今思えばもっとやり様があったんじゃないかとの後悔の念しか浮かんでこないが、ただそういうトレーニングだけは10代の頃からやってきているので、ヒイコラ言っていても意外と頭は冷静で、体と切り離して保つことには慣れている、はず。
苦しい時にどれだけフォーム、力の入り方、出し方、その辺をいかにコントロール出来るかで、そこで得られるものが変わってくる、と頭ではわかっているつもりなんだけどなあ。

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